人の目を気にすることと気遣いの違い

こんにちは☺︎


ヨガ、瞑想、NLPコーチングを通して
「自分と繋がる」そして「世界と繋がる」サポートをしています、Sadyです😊


「Anatomical Yoga Adviser」、「NLPコーチ」、「瞑想セラピスト」
として、マルチに活動しています。


自分の中で「これは許せない」とか「すごい嫌悪感を感じる」とか
そういったことってありませんか?


そして、その理由はご自身の中で明確ですか?


今回は、私の中でのそういった嫌悪に関して考えたことでの
気づきをシェアしたいと思います。


ご感想などあればなんでもコメントくださいね😊

自分の中での勘違い

「人の気持ちや信念価値観を汲んで行動すること」
「周りの目や空気を気にしてただ合わせようとすること」


今考えると
以前の私はその二つの本質を本当の意味で理解しておらず、
混同していました。


どちらに対してもいわゆる他人軸
「自分がない」「他人任せ」「事勿れ主義」などの印象を持ち、
ある意味蔑みに近いような嫌悪、否定というジャッジをしていました。

矢印はどこに向かっているか?

確かに側から見ると、
どちらでもやっていることはさほど違いなく見えるかもしれません。


ですが、本質は全く違います。


本質的な、一番大きな違いは
「矢印が自分だけに向いているか」
「自分以外のものに向いているか」
というところです。


どっちがどっち⁇と戸惑われるかもしれませんね🤔

一見すると自分軸、でも本質は…?

「周りを気にして人に合わせる」


この場合の重点は、
「他人から」「自分が」どう思われるか
「他人から」「自分が」どう見られるか
最終的には矢印の向きは自分ですね。


自分→他人→自分
というブーメランのような状態です。
他人軸だけどあくまで自分目線。ややこしいですね🤣


「人の気持ちを汲んで行動する」


この場合、矢印は純粋に自分以外に向いています。
その人のことを本気で考えなければ
できることではないですよね。


その上で、同じ合わせるでも
自分の意思で自分発信で行動を選択しているのがわかりますか?


純粋な他人目線、なのに自分軸が通っているのです。

本質を捻じ曲げずに受け止める

表面上に見えているものだけが物事の全てではないのは、
皆さんよくお分かりかと思います。


その上で、
その目的や意図というものを考えていくこと
フラットに物事を捉えていくことが
やはり大切なのだと思います。


私もまた痛い勘違いをしないように気をつけていきます😌

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